BORN FREE

フラットコーテッドレトリバー3頭との悲喜交々な日々

置かれた場所で咲く


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前回の投稿から少し間が空いてしまいました。
マンション建て替えが決まり、まだ退去までに1年近くの余裕はあるのですが、新たな住処となる場所や家、予算(出来るだけ安く!)などを総合的に睨みつつ、新しくなった働き方を加味し、かなり間口を広げて検討をしているので、見学に行くのも大変で忙しくしております。

・・・に加えて、仕事もちょっと忙しくて、パソコンの前に座る時間が長くなっています。

 

今日、Facebookの「思い出投稿」に「置かれた場所で咲きなさい」という渡辺和子さんの著書について、のメモ的な投稿がありました。内容は以下の通り。

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2014年11月22日

マンションの駐車場にて。
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Bloom where God has planted you.
『与えられた場所で咲きなさい』
書籍の賛否はあるようですが、奥の深い言葉だと思います。
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と、書いてました。
当時、なぜ、駐車場の排水溝から花びらを出す雑草に目が止まり、渡辺和子さんの本を思い出したのか、その時の心境は全く覚えてません。
でも、6年前の今日の自分の投稿を見て、「はっ!!」としたので、Blogに書いておこうと思います。
実は1週間位前のFacebookの投稿でも、ヒメジオンの写真と共に「自分のために咲く花は雑草でも美しい。誰かの為ではなくて自分の為に咲くところが良いね」と書いてました。

なんか・・・心境的に苦しかったのだろうか?自分??🤣
全く記憶には無いのですが、ただ、その価値観は今でも変わらずにあります。
 
渡辺和子さんはキリスト教カトリックのシスターで、ノートルダム清心学園の理事長だった方ですが、私にとっては母校の先輩でもあられます。
シスターという立場での教えや慈善的な活動は、時に「世間を知らないから、そのような事が言えるのだ」とか、「清く美しいという高い視座からモノを言っても辛く苦しい人間には伝わらない」などの批判を受ける事がある、と聞いたことがあります。

置かれたところこそが、あなたの居場所。
自ら咲く努力を忘れてはいけません。
雨の日、風の日、どうしても咲けない時は根を下へ、下へと伸ばしましょう。

・・・と言われても・・・どうやって?
と思う心情も時もあれば、心に浸み込むように伝わる時もあるかもしれませんね。
 
6年前、私は「雑草は誰の為でもなく自分のために咲くから美しい」と書いていたけど、それは花壇に植えられて咲くような大輪の美しい花、優等生の可憐な花なんかに負けないぞ、と思う何かがあったんじゃなかろうか?と思うのです(笑)
で、雑草花を自分になぞらえ、絶賛応援中だったに違いない🤣絶対にそうだと思う🤣
 
今にして思うのは、雑草を取り除いた美しい花壇に植えられた花は、それを見る人間の為に植えられた優等生(勝ち組と定義)だけど、でもそこで咲く花達は自分のために頑張って根を張っているわけで。
取り除かれても、取り除かれても咲き返す雑草花(負け組と定義)と、そこで綺麗に咲きなさい、と植えられた花に、そもそも勝ち組も負け組も無くて、比較するその心が残念な6年前の自分😱

だとしても、やっぱり人知れず自分のために必死で背を伸ばす雑草花がやっぱり好き。
とか言って、お庭のあるお家に住んだら、雑草取りまくるんでしょうね(ぷっ)
あ、いや、庭仕事は出来ないから庭無しの家にしろ、とつい最近、母親に諭されました。
 
家探しは犬の事も考えると、どんどん遠くへと足が伸び・・・しかし訓練の先生は変わりたくないので、となると週に2回(なんとか1回にまとめたい)は訓練のために世田谷まで来なくてはならない・・・、って事を考えて、Google Mapと睨めっこ。

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見学ついでにジーボニアまで足を伸ばして見ました。この辺りまで来るのはもう何十年ぶり!?だけど、変わらずのどかな場所でした。
 
Google Mapによれば、今、住んでいる場所から60-70キロ位までは東西南北いずれに離れても、だいたい1時間強で来ることが出来そう(早朝に出るので渋滞は無い想定、またはハイエースキャンパーなので夜出て最寄りの高速のPAで前泊!?ですね)。
どこへ流れつくのか・・・自分でも全く検討がついてません。

また、進展はブログにて。