BORN FREE

フラットコーテッドレトリバー3頭との悲喜交々な日々

ケストレル、11ケ月目の月誕生日に思うこと

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ついつい、代り映えしないけど、なんとなく時間に追われる毎日で、ケスどころかエルザやブリ君の月誕生日を意識する事なく暮らしているけれど・・・

今日はケス君の生誕11か月目の月誕生日でした。

会社のPCに保存されていたこの写真は2020年の8月20日に撮った写真。
まだケスが小さいソフトクレートを使っていた時代、我が家にお迎えして2か月弱の頃の写真です。

なんとなく、この3人、いや3匹の顔を見ていたら・・・じぃーーーんと目に汗かきましたわ。

なんでかな。
きっと、この3頭が天国へ逝ってしまった後に、この写真見たら泣けるだろうなーーーって、余計な未来を想像しちゃうからかな。
人間だけが「今」に居ながらにして、瞬間、瞬間で未来や過去に思いが飛んで、実は「今」を最も味わっていないように思う。

この写真のえっちゃんが好きだな~、目が私に語りかけている。
「やってやったぜ」的なお顔しているのは、きっとこの写真撮る前に何かあったに違いない🤣

8月17日生まれのエルザなので、この写真撮った日は5歳と3日、3頭の犬チームのリーダーとして、なんだか大人になっちゃったなぁ~、私のえっちゃんが・・・って思ったら、またまた、じわぁ~っと目頭が。

 

この写真は月曜日の朝練の後の砧公園の駐車場で撮った写真。
なんという事の無い平凡な1枚なんだけど・・・いつか、犬と暮らすことも出来なくなる年齢になって、この3頭もとっくに天国へ逝ってしまって、すっかり犬と暮らしていたことも、お散歩していた景色も日常ではなくなってしまった時に・・・。
このブログを読み返せると良いな・・・って思うけど、それまでこの有料ブログを維持してられるだろうか、、、ちょっと心配である(と、また気持ちは未来へ飛ぶ)。

この写真を撮った日、特に幸せとかなんにも考えずにパチリと撮った1枚。
パピーのケスを迎えて、そりゃ幸せ気分はあったと思うけど、幸せってそういう特別なイベントめいたお祝い事によって得られる瞬間的に感じる幸福感と、後になって「あぁ、幸せな日々だったなぁ」と、流れて行った日々に対して感じるものと2種類あるのかな。

なぜならば、先も書いたように人間は「今」にいながらにして、「過去」や「未来」に脳みそが行ったり来たりで、なんとなく「今を生きる」という点では、犬達よりボンヤリしているから、「今」の瞬間に幸せ!って感じるよりも、何か先々あった時に振り返って、平穏だった日を「幸せだった!」と感じるのではないか、と。

 

いやいや、後から振り返って「今」の事を幸せと思うのとは別に、だったら「今」も幸せって感じるほうが幸せ、だから3種類あるって事か・・・。

ものすごく、とりとめもないことを書いてますね、私・・・。
しかも、書き始めて、テーマが大きすぎてどう終わりにすれば良いのか?分からない🤣

 

明石家さんまの「しあわせって何だっけ、何だっけ♪」っていうキッコーマンのCM、1986年の古いCMですが、時々「しあわせって何だっけ」の答えは結局、何だろう?て、この歌を時々、思い出す。
(ところで、このCMの明石家さんまのファッション、当時はイケてたんだろうか?)

www.youtube.com

 

幸せってなんだ?の答えを明朗にスパっと答えることの出来る人に「答え」を教えてもらいたい。
私の場合、今こうしてブログを書いている時間も、決して不幸ではないし、足元で寝ているブリ君の温かみを感じながら、とりとめもないことを書く時間の余裕、まさに幸せだろ、って思うけど、それは脳みそがそう判断しただけで、心にグっとくるような幸せ感は無いような・・・。
いや、でも、ごくごく平凡という名の幸せに、いちいち心でグっと幸せだなー!!!って感じまくってしまうのは、ちょっと精神的にはバランス悪そうですね。

 

または、幸せって他人から「あなたは幸せそうですね」などと言って頂くことで、「あぁ、そうなのかな?」と実感めいた思いをするものなのか。
しかし、それは他人の価値観を通しての「私の幸せ」であるわけで。

ただ、幸せだった過日を思い出して、その日にはもう戻れないと思った時に、ひたすらその時の現実に淋しい思いをするような未来は怖いし残念過ぎる。
もう大好きな犬とは暮らせない年齢となり、過日の犬達と過ごした日々の写真に幸せを感じつつも、「犬はもういなくても、今も捨てたもんじゃないな」と思えるような自分でいたい、と思うのでした。

なんで、こんなことをケスのめでたい11か月目の月誕生日に書いているのか?
漠然と会社のPCから発掘した3匹の写真が、私の「今の幸せ」を象徴しているような気がして、いつかこの3頭を失ってしまう日のための予防線なのかもしれません。
こうやって、だから、人間は「今」の幸せを「今」、ただただ楽しむことが出来ないのか。

そして、前述の特別なイベント的な瞬間的な喜び、幸せ感とは別に、人間にとっても普遍的な「幸せ」というものがあるんじゃないか?と思う。

宗教とか・・・ではなくて。

 

って考えると、明石家さんまのCM、「幸せってなんだっけ、なんだっけ、ポン酢醤油のある家さ」ってすごい秀逸だなって思う。
家族で鍋をつつくのが幸せ、と答えをポンと出している(ポン酢醤油なだけに🤣)。
「家族で鍋」は普遍的な幸せの象徴の1つだと思うけど、COVID-19で奪われた「幸せの1つ」でもありますね。
でも、そんな中でも人々はそれなりに幸せを見つけて生きていると思う。

やはり、幸せとは、こうして考えて、書いて、写真などを見て過日を「幸せ」と定義するものではなくて・・・意識して心で感じることが大事ですね。
コロナで色々と思うようにならず、不幸だ、不幸だ、不幸だ、と思いながら生きている人と、そんな中でも「小さな幸せ」を見つけて生きていく人がいるのだろうと思う。

ものすごく月並み過ぎて、自分でも笑ってしまうけど・・・「今、瞬間を生きて楽しむ」って事に尽きるのかな。
というワケで、せっかく犬と一緒に暮らしているのだから、もっと犬並にシンプルに余計なこと考えずに、出来るだけ脳みそを「今」に専念する実験をしてみようと思います。

そしたら、何かが変わるのか?変わらないのか?

こんな事をふと、足を止めて考えたのもケス君の11か月目のお誕生日のお陰です。